◎麦飯石(ばくはんせき)の歴史
麦飯石は、古来から漢方薬として用いられ、明代の李時珍(1518〜93)が編さんした「本草網目」(1596)には上位の薬石として、その薬性が甘く毒なく各種皮膚病が治癒出来ると書かれています。
麦飯石は火成岩の中の半深成岩に属す石英斑岩の一種で、特殊な風化作用を受けていることが特徴です。淡い黄褐色の石基の中に、白い長石と、灰色の石英の結 晶がちりばめられています。 その見かけが麦飯(むぎめし)むすびに似ていることから「麦飯石」(ばくはんせき)と呼ばれるようになりました。
炭酸化作用(炭酸が鉱物を溶解する化学反応)を受けており、鉱物の溶出により多孔質を形成しています。この「多孔質構造」がミネラルの溶出、吸着作用などと深く関係しています。
国内では岐阜県加茂郡白川町黒川が唯一の産地です。
◎麦飯石(ばくはんせき)の特徴・効能・効果
吸着力
麦飯石の主成分が、無水化ケイ酸と酸化アルミである事と、多孔性(粒径0.5〜1.5mmで約83,000個/平方センチメートル)で表面積が大変広くなっているために、吸着作用やイオン交換作用が強く働きます。水に作用させるとその働きは素晴らしく、水中のカルキ(遊離塩素)や有害物質のシアン、水銀、カドミウムや、大腸菌等の雑菌などの汚染物質を吸着分解する結果、水を浄化します。
ミネラルの放出
ミネラルは、人体に不可欠な五大栄養素のひとつです。麦飯石を飲料水に投入することにより、カルシウム、鉄、ナトリウム、カリウムなどのミネラルを水中に溶出するので、水が美味しくなり、体内のミネラル補給も容易です。
水質調整
麦飯石ph実験結果によりますと、アルカリ水も酸性水も中性に近づける働きがあります。
水中に酸素を供給する
麦飯石は、水中の酸素を吸収しやすい形にするため、酸素の豊富な水を作り出します。飲めば人体にも良く、鳥や魚の飼育用としても大変良い結果が出ています。
分解作用
麦飯石は、水中のカルキ(塩素)を吸着分解し、カルキの少ない水を作り出します。
◎美濃白川の麦飯石(ばくはんせき)
100m離れれば違う石になる
麦飯石は100m掘る場所が変われば石質が変わるため、美濃白川麦飯石株式会社では、その都度専門機関による石質分析を行っています。
岐阜県の3分の1を占める飛騨流紋岩
麦飯石の誕生は5〜7千万年前だと云われています。日本列島は2千3百万年まではアジア大陸の一部だったと云われています。その後大きな割れ目が生じ、 それが日本海となり、大陸と離された列島となりました。従って古い時代の花崗岩はプレートに乗ってどこからかやってきたものです。日本列島には多くの花崗 岩類の分布が見られますが、麦飯石のように自然の炭酸化作用を受けている場合はほとんどありません。
茶色の部分に濃飛流紋岩が分布し、赤色の部分に火成岩・石英斑岩・花崗岩が分布しています。また麦飯石層はこの流紋岩を貫き形成されているということが大きな特徴です。
美濃白川の麦飯石が同定された経緯
石薬の研究家であった益富壽之助博士によって,岐阜県加茂郡白川町黒川産の炭酸化作用を受けた花崗斑岩が「麦飯石」と同定されました。
石薬研究家であった益富壽之助博士は、岐阜県加茂郡白川町黒川産の炭酸化作用を受けた花崗斑岩を麦飯石と同定し、おいしい水をつくる石として推奨されていました、益富博士が同定された白川町黒川の花崗斑岩という岩石は、花崗岩や花崗閃緑岩と同じような成分を持つ半深成岩の一種です。長石(カリ長石及び斜長石)・石英・雲母などからなる斑状の岩石で、大きな長石・石英の斑晶と、その間を埋める細粒の長石・石英・雲母などの石基から出来ています。白川町黒川の 花崗斑岩は、岐阜県中部に広く分布する飛騨流紋岩(中生代白亜後期に噴出した火山岩類)を貫く岩脈・小岩体で産出しています。花崗岩は岐阜県のみならず日本各地によく見られ、特に珍しい岩石ではありません。しかし白川町黒川の花崗斑岩には、他所の花崗斑岩とは異なった大きな特徴があります。それは岩石全体 が炭酸化作用を受け、斑晶の長石や石基の一部が方解石(炭酸カルシュウム)に置き換わっているということです。このような炭酸化作用のを受けた花崗斑岩には、新鮮な部分で炭酸カルシュウム溶出の効果、それに加え、風化した部分では炭酸カルシウムの溶出によってできた多孔質の空隙による吸着効果があり、全体としてたいへんバランスのとれたおいしい水が作られます。
日本での麦飯石発見者益富壽之助先生が語る麦飯石のお話
一番最初は岐阜県加茂郡白川町黒川に住んでおられた丹羽喜義さんがこの石を発見されました。麦飯石であるということはご存じなかったのです。この丹羽さんは心臓の病気でした。この石を炊いてその水を飲んでいたら心臓の病気に良く効いたというのがその始まりです。それが評判となって石の要求が現れてきたので、売り出そうということになりました。先ず岐阜県の薬務課に相談されたところ、岐阜薬科大学の大野先生を紹介された。大野先生はこういう石のことは分からぬ
から、京都にこういう人がいるのでそこへ行きなさいということで私の所へ紹介状を持ってこられたのが麦飯石の始まりです。この石をよく見て考えてみると、
「この石は中国の本草綱目に出ている麦飯石に当たる石だなあ」と直感しました。
それから持ってきた石について調べてみますとこれは麦飯石に当たる物であることを鑑定したのでございます。麦飯石に関する動きは昭和20年代からと考えられます。岐阜薬科大学へ持ち込まれ、研究班が組織されたのが昭和34年です。昭和51年「麦飯石美容・健康法」が主婦の友社から出版され、不思議な石として全国に紹介されたのですが、採掘場所は「日本に唯一カ所、岐阜県の山中」とされ白川町であることは伏せられていました。昭和53年頃、一部の町外業者から町の経済活性化のため麦飯石の開発を進める働きかけが強くなり、町は専門機関に埋蔵場所や埋蔵量などに加えて、石の効能やその理由の調査を依頼しましが、薬効やその理由を明確に出きるまでには至らなかったようです。これは多くの漢方薬がそうであるように薬効の理由が単純に証明出来ない複雑さからくるものと解されたが、この段階で公営企業として手がけることは困難と判断されました。この様な動きと平行して民間企業が麦飯石を採取し、粉末や大小の粒子に砕いて販売を始めていました。特に三重県の業者はかなりの規模の採石場を黒川に設けて搬出し、好調な営業活動を行っていましたが、長くは続かず商法上の問題から昭和49年に会社は倒産し閉山となりました。
しかしこの石の不思議な効果を認めるファンは多く、有望視される健康産業でもあることから白川町の資源としてなんとか地元で企業化をしようと立ち上がった人達が居ました。